素直な親父のコンフォートゾーン
息子の問いかけ
昨日、息子と話していて、
「親父は結局、何をしたいの?どうなりたいの?」
と言われました。
(まるで、親が息子に言うように!立場が逆転している!)
私は、
「まあ、65才になれば少しながらも年金は入るし、何かしながら小金を稼いで、どこかに旅行に行ったり美味しいものを食べたりしたいかな。」
と言うと、
息子が
「そんなちっぽけなこと?!それで満足なの?」
と呆れたように言いました。
がーーーん!
ナイフのような言葉
息子はさらに続けて、
「苫米地英人の本は呼んだでしょ!それでもその答えなの?」
(どちらが親なのだ?!)
私は、
「もちろん読んだよ。コンフォートゾーンのことだろ?」
と言うと、
息子は、
「読んでも、真剣に心に入ってないんじゃないの?行動に出てないじゃないの!」
と私の心に無慈悲にナイフのような言葉を突き立てます。
私は、
「うーーーん」
と唸りながら、考えました。
「確かに今の自分は、今までのコンフォートゾーンの中でしか将来像を考えていないのではないか、息子の言葉は核心をついているかもしれないな。」
さらに、
定年を迎えて会社生活が終わりを告げようとしている今、「何をしたいのか、どうなりたいのか」について明快に答えられない自分の状態は、まさに現在のコンフォートゾーンを大きく超えた自分のなりたい姿を描けていないのではないか、と気がつきました。
コンフォートゾーン
私は今まで、自分の定年後の姿としてどんなことを思い描いていたのか振り返って見ました。
定年後の姿として
・今までの経験や技術を活かして、市や民間の団体と協力しながらボランティアとして技術の伝承を図っていく
(これは結構よくあるパターンで、自分でも技術には自信があるし、良さそうな案)
・自分の技術を活かして、民間の企業などでコンサルタントとして稼ぐ
(実際に東京のクライアントにコンサルタントをした実績もあるし、最近は国立大学の非常勤講師として講義もしたし、過去には複数の企業の品質管理の講師としての実績もあるので、一番可能性がある気がする)
・インターネットを通じて、アフィリエイトやライティングなどで稼ぐ
(実際にやって見たが、思うほどうまく稼げない)
しかし、これは冷静に考えてみると
・目的としての「なりたい自分の姿」を語っていない。単に、手段としての稼ぐ方法だけを色々と語っているにすぎない。
・しかもその方法は、今までやってきたことの延長線上でしか考えていない。
確かにこれでは、現状に対するホメオスタシスがバリバリに効いているだけで、新しい自分への変革にはなり得ないと思います。
これから自分が変わろうとするのなら、現在のコンフォートゾーンから思い切りかけ離れた姿を思い描いて、それをリアリティーをもって心に意識することが重要です。
そうすることによって、新しくなりたい自分のコンフォートゾーンが出来上がっていき、現在のコンフォートゾーンがコンフォートゾーンではなくなってしまい、新しくなりたい自分のコンフォートゾーンへのホメオスタシスが自分を自然になりたい自分へ引き上げていくということなのです。
(すこしややこしくなりましたが、そういうことなのです。)
したがって、今大事なことは、「私がこれからなりたい自分の姿を、十分なリアリティーを持って描けているか」ということだったのです。
息子が私に言いたかったことはそういうことだったのだろうと思います。
明日は、私がこれから本当になりたい自分というものを考えて見たいと思います。
今日はここまでとします。
次回もよろしくお願いします。